令和6年度病院長令和7年3月付退任長く開設から勤務していた診療部長が去り、看護部長、事務長が変わり、医事責任者が異動になり、板リハに12年間、院長を務めた自分も院長を2025(令和7年)3月で退任し、板リハはまさに旧い着物を脱ぎ、スローガンにあるように板リハ新時代の夜明けから新時代の始まりとなった。新型コロナは徐々に風邪ウイルス化しているが、今後も感染対策チームの活動は重要であるし、予期せぬ医療事故の発生もあり得るため、医療安全対策の充実は必須であろう。患者様、患者ご家族様からの理不尽な要求にも敢然と立ち向かい、何としても職員を守る姿勢が基本であるなど、病院という組織は多職種の協調、協力があってこそ成り立つものだと思う。医師、看護師、コメディカル、そして全職員とのコミュニケーション不足にならないよう切磋琢磨したい。 令和6年度は冷暖房装置の入れ替え、レントゲン装置、機械浴、食器洗浄機の購入、3階テラスのシートの張替え、ウェルウオークの購入など高額支出の多い年であったが、次年度は職員の働きに直結した物品の購入に力を入れて、より働きやすい環境を整えていきたい。冒頭、板リハは大きく変わると述べたが、開院15年を迎え、回リハの専門、指導医の常勤医を3名擁する病院にまで充実してきたため、心臓リハ、運転適性判定、上肢CI療法、ボトックス、嚥下、就労、装具など回リハに特化した領域に深く関与する病院になるべく成熟していきたい。 最後に、新しい風を吹き込みたいという考えと難病を抱える院長の気持ちを汲んでいただき、次年度からは新しい院長、大野綾先生に第3代の院長をお願いすることになった。これまで非力の私を支えてくれた看護部長、事務長、副院長、医局長並びに医局の先生方、そして一緒に働いてきた全ての職員に心から感謝とお礼を申し上げ、あわせてIMSグループ全職員の頑張りと発展を祈り、皆様方からのご指導、ならびに忌憚のないご指摘を切にお願い申し上げる次第である。 リハビリテーション(リハ)は古代エジプトで物理療法をおこなっていた記録があるようなので、リハの歴史は古いが、中世、1400年代にリハビリという言葉が生まれたとあり、語源はラテン語でRe(再び)habilis(適する、ふさわしい)再び適した状態、ふさわしい状態にする‥と言う意味で、元通りにすることではないことを、リハに携わる者としては謙虚にこの語源をかみしめたい。その後、1914(大正3年)の第一次世界大戦で負傷した兵士の短期回復の兵士リハビリがきっかけで注目され始め、日本では1950年代前半にリハビリテーション医学が登場。先人たちの努力によって、1963(昭和38年)にリハビリテーション学会が創立、1980(昭和55年)には専門医制度が成立、2000(平成12年)介護保険制度とともにリハビリテーション病棟が診療報酬上認められ創設された。その後、増加、発展を続け今日に至っている。当院は2009(平成21年)6月開院し15年目を迎えている。 さて2024年度はどんな年だったか勝手に振り返ると、1月1日の能登半島地震、2日には日航機と自衛隊機が衝突炎上、日本を代表する指揮者の小澤征爾氏の死去、パリオリンピックでの日本人選手の活躍、二枚目の大スター、アランドロン死去、兵庫県知事のパワハラ疑惑問題、トランプ氏の大統領返り咲き、トランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領との会談で前代未聞の口論があったなど、相変わらず静かな1年とはいかない。 当院はどんな年であったか、2025(令和6年)を振り返って投稿したイムスの広報誌“くたかけ”の文章から引用するが、まさにラインホールドニーベンの祈りの言葉「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについてはそれを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」がふさわしい年度となった。 令和7年3月31日IMS Itabashi Rehabilitation Hospital1病院長ご挨拶渋谷 正直Shibuya Masanao
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